これは、人が本来やるべきことを探求する「天命と天職」に関する日記です。
まず、最初は、天命の考え方についてお話したい。
天命には大きく分けて二つの考え方の流れがある。
あなたは、どっちを採用する?
一つは、天命は特別な人に下るという考え方であり、受命思想とも言われる。
徳のある人が、天から「命」を受け、国を治める。 徳の無い政治をしていると、
他の人に「命」が下り、王朝が交代する。
つまり、王の姓が代わり、命が革(あらた)まる易姓革命である。
これは王朝を滅ぼす大義名分ともなった。 つまり「俺に国を治める天命が下った」というのである。
もうひとつは、「すべての人、いや山川草木まで全てに神が存する」という日本古来の考え方だ。これが「八百万(やおよろず)の思想」である。全てに神が宿り、それぞれに天命がある。
これは汎神論と思われがちだがそうではない。 なぜなら、元は一つだからである。
一つの神から別れて多くの神ができていった。
これは、実際には神(宇宙)は一つであり、それぞれはその機能神と考えてよい。
「一神即多神、多神即一神」という考え方である。
孔子の言葉「五十にして天命を知る」を、例にとって考えてみよう。
孔子は政治家になりたくて14年も各地を放浪し、遂に政治の道を諦めた。
受命思想で考えてみると、 孔子は、「自分には政治家としての天命はなかった。
人にはどうしようもない限界がある」と悟ったことになる。
事実、中国では、この解釈が一般的である。
ところが、 日本人の多くは、「孔子は50にして自分の天命を知った。
だから自分も何をやるべきか天命を知らねばならない」という積極的な意味を持たせている。
これは、知らず知らずの間に、日本人の中に「八百万の思想」が存在していることになる。
私の解釈は、こうだ。
孔子は、ついに政治家になる道を諦め、自分の人生で貫いてきた弟子の教育に専念することになった。 その弟子の数、三千人といわれた。
その弟子たちは「子曰く」という言葉で始まる「論語」を編纂し、
孔子の名前を二千年後にまで残すことになった。
孔子には「人を育てる」という天命があったのだ。
しかし受命思想を持っていた孔子はそのことに気づいていなかったのではないか。
こんなことを言うと、孔子ファンに怒られそうだ。
私は「八百万神の思想」が好きだ。 宇宙は、一点から始まり、次第に物質ができ、星ができ、今の宇宙ができあがった。「八百万の思想」はまさしく現代物理学のビッグバン理論と合致する。
しかも、もっと大切なことがある。
「一神即多神、多神即一神」は、我々は繋がっていて、実は一つであることを示している。
この思想は、世界に平和をもたらす。 あなたは、どっち?!
出口 光(2008/3/3)
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