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桃と栗は、植えて3年で収穫できる。石の上にも三年だ。昔は、桃と栗を植える農家は、桃栗農家といわれた。
一方、柿は収穫までに、八年もかかってしまう。柿を植える農家はあまりなく、尊敬されたという。
さらに梅はなんと十分収穫できるまでには、20年もかかってしまう。これはすごいことだ。
人生や仕事も同じだ。三年位で結果の出るものは、やはり本物ではない。
世阿弥は、3種の花があると言っている。
ひとつは、「時分の花」で、舞台デヴューのときは誰でも新鮮に見え、花がある。舞台に上がるまでには、3年の稽古が必要である。しかしその「時分の花」をいいことに、怠けているとすぐ花は色あせてしまう。それは単なる「時」の花。
二つ目は、「工夫の花」で、努力して工夫し、改善していけば、一格上の花になる。これには人生を通して、長期の研鑽が必要だ。
三つ目は、「眞(まこと)の花」で、年老い、動けなくとも、本物を追求してきた人であれば、
色褪せない不思議な花があり、人を魅了することができる。
世阿弥のお父さんである観阿弥は、死ぬ直前に舞台に立った。「その時の観阿弥は、体力、動きは衰え、往年の技量を発揮するべくもなかったが、その舞いは、観衆の大喝采を浴び、枯れ木にも花が咲くことを実際に証明した」と世阿弥は、言っている。
私たちも後に続く人たちの魂に残る「眞の花」を咲かせるようにしたい。
天命に志した人には、成功も、達成も、終わりもない。
「人を育てる」という天命に志した人には、生きている間、その仕事がある。ひとりを育てても、次の人がいる。また、新しい人たちがどんどん生まれてくる。しかも世界には65億人の人たちがいる。したがって、終わりがない。
マザーテレサも、人を救い切ることはできなかった。もちろん、ブッダやキリストもそうだ。
しかし、その志を継いで、多くの人たちがその道を歩いている。
成功や失敗に拘泥せず、時の流行や権威に右顧左眄しないで、愚直に、自分が人生でやるべき天命を全霊でやり続けたい。
道に倒れるのは本望だ。その後を、次の世代の人たちが必ず乗り越えていくだろう。
出口 光(2008/3/13)
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